でもね、わたしは今ようやく『愛おしい、愛してる』という気持ちを1㎖ずつ増やしていけている気がします。
今手を繋いでくれる人に、発作やパニックに陥っても落ち着くまで背中をさすってくれる大きな手を、付き合い始めてから約一週間ずっと時にバイクで時に車でお家まで来てくれて、うちの両親や祖母2人には足を伸ばして挨拶をしてくれたり、兄に対しても電話を掛けてくれた。
その行動だけで彼が如何にわたしを『愛して』くれてるか分かる。
そんな人に出逢えたわたしはこれまでの人生の中で初めてだった。
みんな大なり小なり何か抱えて生きている。抱えながらでも、懸命にガムシャラになりながらでもそれでも前へと進むことをしている人はこの世界に大勢いる。
だからそれが分かりすぎるから、体へ影響があろうと心に深い傷が付こうともわたしなりに1歩ずつ歩いてきたし、もがき苦しんでも人生を本当の意味で投げたくなくてわたしなりのスピードで一歩一歩進んできた。
どんなに誰かに進むべき道を傷を付けられても、へし折れられても、わたしがわたしの人生否定するのは、自分まで懸命に生きた自分までも消したくなるから…
どんなに泣いて喚いても過去を消すことは誰にだって出来っ子ないこと。
だったらはたから見たらみっともなくて痛々しいとは思うけど、傷つかない術を装着するわたしの場合は(人を簡単に信じないという鉄の鎧を身に纏う)ことで一歩一歩歩くようにしてきた。
その頑張りを見ててくれた人にようやく出逢えた丸一年前…
初めて挨拶を交わした半年前のその瞬間に見かけはプーさんみたい、だけど人のことが先決で自分のことは後回しで、自分の立ち振る舞いについていつも敏感に動いている。でも本音は隠して辛いことあっても強がりなところとあとは良く人の痛みや苦しみを見透かしてくれてるな。なんて想った。
ポーカーフェイスを貫いて目の奥も人生を達観してるように思うけど、一瞬悲しそうなどこか遠い今にも崩れそうなそんな目をしたの。
わたしはその人の目の動きを敏感に察知した。どんどん話してみたいそんな感覚になり勇気だして声を掛けたその日から色々な話をする自分自身にわたしがビックリ!したけども…
だけどそれがなんの感情なのかは、分からなかった。
その出逢いの当時からわたし自身の心の均衡が少しずつ斜めになりつつあり、どこかでSOSを出していた。
でも当時のわたしはまだ自分の私生活やリハビリで精一杯で、一方的にこの人にSOSを出したらダメだと必死に抑えてたの。
だけどね…昨年の自分の誕生日を過ぎた辺りから体全体心全体の均衡が保てなくなっていった。
ここから先はその人に直接顔を見て言いたいので、勝手ですがここにこのトピックを書くのは最後にします。
ごめんなさい。
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